株式会社打保屋 代表取締役社長 打保雅俊様

株式会社打保屋様が高山の地で駄菓子の製造販売を始めたのが明治23年。雅俊社長の祖母セツさんが高山に初めて砂糖を持ってきたと言われており、それが「打保屋商店」の始まりである。昔から「打保屋さん」の愛称で知られていたため、平成17年社名を株式会社打保屋に変更。創業開始から常に高山の歴史とお客様に寄り添ったスタイルで飛騨駄菓子を作り続けています。

飛騨高山の魅力はどんなところですか?

 駄菓子とは“その地域で独特の発展をしたもの”という定義がありまして、飛騨、播州(兵庫県)、仙台の3か所に駄菓子文化が根付きました。飛騨は木の実や穀物が豊かな土地だったためか、飛騨駄菓子の原料は主に大豆と胡麻、落花生が使用されています。
 例えば、飛騨駄菓子の中でも最も歴史が古いと言われている“こくせん(穀煎)”というお菓子。現在はゴマで作っていますが、昔は稗や粟などいろいろな穀物と水あめを合わせていたそうです。
 “三嶋豆”という大豆に砂糖をコーティングした駄菓子は高山発祥と言われており、開発者である三嶋さんが歯の悪いお母さんでも食べられるような駄菓子として開発したものです。大豆はただ炒っただけではそれほど柔らかくはならないのですが、豆を水に漬け、ふやかしてから炒ることで豆が噛みやすくなり、カリッとした触感に仕上がります。それを甘い衣でコーティングすることでおいしく食べてもらえた。という母を思う心から誕生した駄菓子なんです。
 明治の初めには豆に味をつけたお菓子はなかったそうで、三嶋豆は当時の全国お菓子品評会で賞を総なめにしたという、子供からお年寄りまで楽しめる飛騨駄菓子の原点ともいえる商品です。その製法には大変な手間と時間が必要で、当社では大豆の上に薄く砂糖を塗っては乾燥させるという作業を何度も繰り返して商品が出来上がります。この作業が無ければ表面のつるっとしたきれいなコーティングが作り出せないためです。私はこのような“手間を惜しまない製法”が誕生したのも高山ならではだと考えております。
 そして飛騨駄菓子はお客様の声や時代に合わせて少しずつ変化してきました。 “かんかん棒”という駄菓子は水あめときな粉を棒状に固めた折れない程硬いものでしたが、時代とともにどんどん柔らかく変化してきました。しかし、ある時「これはかんかん棒ではない!」と思い、従来の硬いかんかん棒を復刻させました。今では柔らかい“きなこ棒”、昔ながらの固い“かんかん棒”と2種類販売していますのでどちらがお好きか食べ比べていただきたいです。
 最後に、飛騨駄菓子は体にも優しい素材で出来ており、子供からお年寄りまで安心して口に入れて頂けます。パッケージの素材を見ていただくとほとんどの商品が“砂糖”“きな粉”“塩”“胡麻”など自然素材のものが簡単に2~3行載っているだけ。これで十分。 こういったところも魅力のひとつだと思っています。

今力を入れていることは何ですか?

 おかげ様で観光のお客様や全国からのお取り寄せが多く大変ありがたいことですが、実は先般、一年を通して高山の高校生と一緒に「ももこつ」という飛騨の桃味のげんこつを開発した際、半数の生徒さんが飛騨駄菓子を食べたことが無いということを知って驚きました。私たちが力を入れなければならないのは地元の子共達にもっと飛騨高山の味を知ってもらい、それを後世に残していくことだと感じました。
 具体的には地元スーパーさんの中にテナントを構えることでお店に来られる若いお母さん方に飛騨駄菓子を発信していこうと思っています。やはり地元のお菓子は地元の方に愛されて残っていくものですし、何よりも子供たちにたくさん食べてもらいたいというのが一番の願いです。

観光で高山へいらっしゃる方へ一言お願いします。

 飛騨地方ならではの伝統や風習に触れられることを楽しみに観光に来てくださっている方、是非飛騨駄菓子を実際に食べてみてください。原料も製法も素朴だからこそ一切ごまかしが利かない駄菓子には、昔ながらの思いと飛騨地方の文化がしっかりと受け継がれていますよ。


飛騨駄菓子の原点
「三嶋豆」

カリカリの白い糖衣をまとった飛騨高山伝統の豆菓子です。砂糖蜜を何回も繰り返し大豆にまわし掛けることで、なめらかで綺麗な衣をつくり上げます。

打保屋の代表駄菓子
「こくせん」

「こだわりの焙煎(濃煎)で香りを最大限に引き出した黒胡麻をふんだんに使用して、水飴で煮詰めて固めた飛騨の伝統的な駄菓子です。





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